スーパーコンピューターを復活してほしい – 西 和彦
まあ賛成ということで。
トップレベルの研究というものは金に換算できないところがある。
SPring-8の施設だってそう。
民間に下げて採算が合うかどうかを議論すれば、間違いなく破綻する。
そういった問題ではないのだから。
開発技術というものは一つだけでは成長していかないもので、その時々の複合的な技術によって新しいものが生み出されていく。
その際に、最先端のものが使われたか、底辺のものが使われたかで、後に続くか続かないかが決まってしまう。
どんなに精巧に作られた機械だったとしても、一つ欠陥があったら動かない。
その際、良し悪しの仕分けはどうしたらつけやすいか?
良い部品を多く使っているのなら、まずは悪い部品だけを見れば済む。
悪い部品ばかりを使っているなら、片っ端から見ていくしかない。
もちろん、予算と計画によってそのどちらを選ぶかは自由だが、”どちらを選ぶか”という選択子は維持していかなくてはならない。
最初から可能性を潰すということでは、経済の停滞を助長してしまう。
まあ何にせよ、早いとこ猫型ロボット作って下さい、ということです。
違うか。